2007年12月05日

小田くんからの手紙

さて、ここでお便りをご紹介します。

神戸市にお住まいの、小田さんからいただきました。




com+position主宰のひとり、木下さんからcom+position4のでもいいしcom+positionそのもののでもいいしなにか感想文書いてよとのことなので頑張って書きます、小田と申します。木下さんのブログのcom+position1のエントリに、com+positionという演奏会の名前の由来として『コンポジションの語源である「音を共に置く」を強調するため、「+」の記号が挟み込まれています。この語源のように、従来の音楽語法を用いた作曲ではなく、音が音楽として聴かれる原理的基盤に立ち返り、アプローチを試みる演奏会なのです。』とあるのですが、僕は最初、com+position(という演奏会)とは、音の質感(テクスチャー)重視の傾向(これを音響派というのでしょうか?)に対する反動としての音の構造(ストラクチャー)重視の傾向なのかしらと思っていて、ややもすると、前後関係、因果関係の物語としての構造(展開)にしかならなくて、それは結局ある特定の慣習的な音楽の仕組みを利用し利用されているだけじゃないのかなあとも思っていました。でも、そもそも音の構造の「ある特定の慣習的な音楽の仕組み」についてすら詳細な知識を持たない僕がどうこういうのはおかしいので、とにかくcom+positionでなされる表現に触れてみないことには、という気持ちで毎回欠かさず皆勤を続けていたら、だんだん分かってきたことがあります。それはとても簡単なことで、「音が音楽として聴かれる原理的基盤」ということを、過去から未来へというような一方向への移動のベクトルで捉えると(時間という視点からスタートすると)、物語としての基盤(展開)もしくは(テクノ的な?)機能としての基盤(展開)しか見えてきませんが、立ち止まってそこから見えるものをひとつづつ見てみるなど、そのような移動を伴わないベクトルで捉えると(空間という視点からスタートすると)、純粋に構造体としての基盤が見えてくるように思いました。もちろん、時間と空間はお互いに依存していて切り離せないものですが、そのときどちらをベースに考えるかで受け取れるものがかなり違ってきます。また、com+positionの面白いところは「(音を)共に置く」ことについての思考と実践であるというベースはありつつも主宰のお三方、江崎將史さん、木下和重さん、竹内光輝さんそれぞれに全く違ったアプローチであるということです(当たり前かもしれませんが)。江崎さんは原理的基盤→ルール→ゲームという視点で、木下さんは原理的基盤→構造→関係という視点で、竹内さんは原理的基盤→時間→生成という視点で、毎回興味深い楽曲を私たちに届けてくれます。とはいっても、これらの僕が捉えることのできたものはそれこそ氷山の一角であって、これからどんどん新しい発見や(良い意味での)期待の裏切りがたくさんあると思います。とても楽しみです。


小田寛一郎(27歳・無職)
posted by kinok at 15:05| Comment(0) | com+position | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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