2016年06月26日

明日イグイグ30回記念

案の定と申しましょうか、ブログをいう存在をすっかり忘れておりました。忘れてばっかりです。忘れたいことはなかなか忘れられられないくせに。乃木坂46の「悲しみの忘れ方」という曲が好きでよく聞くのですが、「いいことひとつ今日の中に見つけて、悲しみをひとつ忘れようとして来た」という歌詞があって、忘れられない悲しみと等価のいいことなんてなかなか見つけられないと思ってしまうのですが、みなさんはどうですか?そんなこんなで。でもわりと楽観的なほうだとは思うんです。何か想定外なことが起きてもそっちの方が結果的にうまくいくようになってるんじゃないかと考え方を変えるというか。まぁでも若いころは違いましたよね。失敗や挫折ばかりで嘆いてましたよね。いくつもの坂を登ってみた後では、まぁどの坂も登らなけりゃいけなかったのかなと思えてくるというか、思わなきゃいけないような気になってきます。考え方を変えることで悩みは無くなるんじゃないかと模索していたあの日々、ようやく実践に結びついたかなーというところです。まぁ、ぼちぼちですけどね。いまだに波はきます。まだまだ修行が足りません。日々是好日ですね。

で、本題。

あした日曜の夜は、イグノラムス・イブノラビムス ミュージックです。
テーマは、
「彼の行為は軽率のそしりを免れない。His behavior is open to the charge of indiscretion.」

軽率のそしり?軽率なおしりじゃないですよ。

毎回テーマはあるんですが、テーマといってもいつも英和辞書パラパラめくりで指差しで決めたものなので、特別な意図はありません。このテーマから何をやるか決めてもいいし、決めなくてもいいし、後づけこじつけでもいいし。見終わって、テーマを思い出してくれたら面白いんじゃないかと思われます。いつもそうやってみんなで笑ってます(笑)

そういえば、前は例文じゃなくて単語だったんですよね。
この頃は告知文も鈴木さんと交代で書いてたんですよね。
例えば13回(2013/09/13)のタイトルは「必要」でした。
思い出したので載せてみます。

----------------------------------
今月のテーマ 『必要』
音楽が成立する上において必要なものは何か?
音楽と呼ばれるためには何が必要なのか?
それが音楽と呼ばれなくても、音楽であるとする必要があるのは何のためか?
そもそも音楽に必要なものなどあるのだろうか?
それとも、音楽そのものが必要ではないのか?
音楽を必要だと思い込んでるだけではないのだろうか?
NO MUSIC, NO LIFE.
誰にとって?社会にとって?会社にとって?経済にとって?音楽にとって?
それって必要?
立ち止まって執拗に考える必要
この畜生な実情 それもまた人情 一身上の都合
っていうか この告知文必要?
木下和重
----------------------------------

告知文のファンだって言ってくれた方もいたなぁ。。
勢いだけで書いてるんだけど、いつ読み返しても我ながら面白い。
ほら、自分が楽しめないと他人を楽しませることができないっていう城東区があるでしょ?
あれっすよ、あれ。また告知文芸やろうかな。


なんか写真載せてみよ。
あ、去年の8/30のやつが携帯にあった。終わった後にパシャりと撮ったもの。前に載せたかな?


20150830_204959.jpg

釣られてる袋は鈴木さんの出し物で、中に氷が入ってて、溶けて水滴が受け皿に落ちて音がするっていう。壁の絵みたいなのは私の出し物で、様々な長さと角度と色と時間を持った線分を描いたもの。


しかし、あしたは30回目ですよ!すごい!こんなに続くなんて。。。
記念日ですね。特に何をするというわけではありませんが。
実際に目撃してくれる人が増えてくれるといいなぁ……
では、明日お会いしましょう



木下和重
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。