音楽と呼ばれるものもあれば、そうでないものも。
このユニット"something & something else"は後者、音楽とは呼ばれないもの。
一応音楽出身者で音楽もやってるので音楽目線になってますが。
でも出自が音楽なので音楽からの発想発送八双飛びにはなってます。
時間にこだわるのもそうです。
something & something elseという文字だけ見て、近所のおじさまがJAZZだと勘違いされて来店、どんなイベントか平明に説明するも終始戸惑い、実演途中でトイレに篭られ、なんてことがありました。かつて。
数回やった木下和重showというイベントがありました。あれは、自分の内にあるまだ名付けられてない表現のマグマみたいなものをなるべくそのまま取り出してみようというコンセプトでした。洗練とは真逆の、あ、そもそも真逆の活動しかしてませんでしたね。何かしら定形なものではない、もやもやしたどろどろしたものを提示するとどうなるかと、そんでもって、おばけとか、ドライブとか、催眠術とか、そんなパフォーマンスをやったわけです。ドライブをやりたかったわけでもないし、催眠術を本格的にやりたいわけでもないんですが、とりあえずの形がないといけないわけで、そのために持ってきたものです。状況というか、舞台設定ですね。何かが行われる”場”です。場を設定してどろっとしたマグマを放出させていただきました。今私は自動筆記のように推敲することなくずばばばと書いております。その後、坂本拓也氏とデュオをやろうということになり、当然ながらコンセプトの共有はせずに時間と場所だけを共有するというライブパフォーマンスなわけですが、ここでは、"道具"について考えてみたわけです。もやもやしたものを出すのにも、何か道具を使うわけですよ。でももやもやしたものをそのまま出せないかな、とか思うわけですよ。道具を使うとそれに注目がいくじゃないですか。もちろんそれを売りにする場合もありますよね。でもやりたいことはそういうんじゃなくて。音の場合だと、音よりもその音は何から発せられるのかってのが注目されがちですよね。で、道具いらないよねー、ってなるとどうなるか。あなたの心に直接訴えかけます…ってのは無理だとして、何かないといけないかなってなるとやはり体を使うしかないかなーとなるわけです。体を動かすことになりますが、動かなくてもいいんですが、そうなると、どのように動いてるのかが興味の対象になりますよね。そこではないんですよ。動くことを例に挙げるなら、動かし方で何かを表すわけではなくて、動くこと自体に焦点を当てたいわけです。いや、違うな。焦点なんかいりません。道具立ては強調したくない。でも結局は何を使ったか、それをどうしたか、ってことなんでしょうけど。人に説明するときって言いがちですよね。はい、といったことを考えた結果の出し物が今夜行われます。坂本君は何やるかどんなコンセプトでやるか私も楽しみです。
9月9日(日曜日)
something & something else
open/ 19:30 start/ 20:00
1000円ぽっきり
ドリンクや食べ物持ち込みOK
会場/大崎l-e http://www.l-e-osaki.org
something:木下和重
something else:坂本拓也